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青森県・弘前城|石垣がなく飾り気のない天守

弘前城(青森県弘前市下白銀町1)

弘前城について
弘前城
国重要文化財 天守、辰巳櫓、丑寅櫓、未申櫓など9棟
別名 鷹岡城(たかおかじょう)
分類 平山城
築城年 慶長8(1603)年
築城主 津軽為信、信枚
主な城主 津軽氏
青森県弘前市下白銀町1

慶長8(1603)年、津軽為信によって築かれた城です。そのいちばんの特徴は、石垣がないということ。城の基礎部分の構えがほぼすべて中世の名残を留めた昔ながらの土塁なのです。

素晴らしいのは、築城された頃の縄張が見てとれて、曲輪全体がはっきりと残っているところです。そういうところには、よく放送局などが建てられたりしますが、ここはきちんと城郭の跡が残されています。

築城当時には本丸南西隅に五重天守がありましたが、寛永4(1627)年、落雷によって焼失。以後天守は再建されずに、文化7(1810)年、幕府の許可を得て辰巳櫓を改築して天守としました。

この天守、正面から見ると白壁に切妻破風を施されて非常に美しいのですが、裏はまるで飾り気がない。ここまでの表情の違いはなかなかないので、ぜひそこも味わっていただきたいです。


城に桜の風景
弘前城のある弘前公園は桜の美しいことでも知られていますが、ここの桜には樹齢百何十年という長生きのものが多いそうなのです。

それはなぜですかと伺ったら、土地柄、リンゴの剪定技術が活かされているというのです。普通、桜の枝は折らないものですが、弘前の桜は剪定することによって、長生きしているのだと。これには、なるほどと思いました。

しかしながら、我々のイメージの中に植えつけられている城に桜の風景、実は明治以降に観光地として人を呼ぶために桜が植えられて発達したもの。もともとは『城』と言えば、『松』だったのだそうです。

弘前城北側の北門(亀甲門)を出ると、向かいの四辻に面して、国の重要文化財に指定されている「石場家住宅」があります。

これは、近世後期の数少ない商家の遺構で、屋内の土間、井戸などに往時の名残を感じることができます。

この石場家は弘前藩出入りの商家で、屋号を「まるせ(○に世)」と称し、藁工品荒物を扱っていたと言います。石場家は代々、清兵衛を名乗りました。今でもご商売をなさっているのですが、お願いすれば中を見せていただける。

建物は正面15間半、奥行22間という広大な敷地の西南隅に位置し、間口9間の、柾葺、妻入の入母屋造で、正面道路に沿って15畳の角座敷が取りつけられて「こみせ」を張りだしています。この辺りは、武家屋敷もけっこう残っているので、お城だけでなく町の散策もお勧めですね。



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