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福井県・丸岡城|取り壊しを免れた天守

丸岡城(福井県坂井市丸岡町霞町1-59)

丸岡城について
丸岡城
国重要文化財 天守
別名 霞ヶ城(かすみがじょう)
分類 平山城
築城年 天正4(1576)年
築城主 柴田勝豊
主な城主 柴田氏、安井氏、青山氏、今村氏、本多氏、有馬氏
福井県坂井市丸岡町霞町1-59

丸岡城、決して派手ではありませんが、質実剛健で、まるで古武士のような佇まいがかえってたまらない魅力になっています。

天正4(1576)年、柴田勝家の甥、勝豊によって築城されたこの城は、明治になって一時官有地になったものの、明治5(1872)年頃に民間に払い下げられ、天守は取り壊しを免れました。

その後、明治5(1901)年に丸岡町に寄付されます。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた二重三階の望楼型天守は、現存最古のものではないかという説もあります。

6メートルほどある野面積された石垣の天守台にそびえる姿は、古いお侍さんが凛々しく立つ姿そのもの。見ているだけで心が落ち着いてくるのです。


手紙文を刻んだ碑
丸岡と言えば、最近は『日本一短い手紙』の『一筆啓上賞』で有名になりましたが、これは徳川家康の功臣、本多作左衛門重次が陣中から妻に送った手紙「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」にちなんだものです。

短い中にも離れた家族を温かく慮る気持ちや、過不足なく用件も盛り込まれていて、簡潔な手紙のお手本とされるものですね。 この手紙の中に出てくる「お仙」というのが、後の越前丸岡藩主、本多成重(幼名仙千代)のことで、丸岡城内にも、この手紙文を刻んだ碑が建っています。



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