愛知県・長篠城|信長が鉄砲を用いた世界で最も進んだ戦争

長篠城は時代をぬりかえた舞台

世界で最も進んだ戦争
1575年5月21日、三河国(現愛知県)の小さな城で起きた合戦は、時代をぬりかえた大きな出来事として語り継がれることとなった。

長篠の合戦。この戦の主人公こそが、戦国時代の武将を代表する織田信長である。ノエル・ペリン(『鉄砲をすてた日本人』紀伊國屋書店)によれば、信長による長篠の合戦は、16世紀において世界で最も進んだ戦争であると評価されている。

長篠の合戦が、なぜ最先端であるかというと、世界に先駆けて鉄砲を大量に用いた点にある。3000にも及ぶ鉄砲が、1000ずつ入れ替わり火を吹く「三段撃ち」と呼ばれる方法は、ヨーロッパで最初に鉄砲による一斉射撃が行なわれた30年戦争に、なんと50年も先駆けているのだ。

1543年、種子島に漂着したヨーロッパ人によってもたらされた鉄砲は、戦国時代にまたたく間に広がり、わずか30年後のこの合戦で、ついに世界の水準を超えてしまったことになる。

その後、鉄砲伝来から100年もたたないうちに、日本が世界最大の鉄砲保有国となったのも、この合戦の与えたショックによって鉄砲生産に拍車がかかったためといってよい。

長篠の合戦が変えたのは、鉄砲の大量使用だけではない。この合戦を描いた「長篠合戦図屏風」に描かれた長篠城の姿を見ると、塀に囲まれた一見住宅と思えるものを、銃眼の開いた漆喰の耐火壁で囲っただけに見える。ところが、屋根の上に明らかな物見の施設が載せられていることがわかる。これこそが、城郭の天守の初見である。

長篠の合戦以降、全国の城郭に鉄砲の使用と共に、天守が普及していく。日本の城郭には欠くことができない天守も、その原形は、長篠の合戦で用いた新しい試みであったといえよう。

長篠城趾は、愛知県新城市長篠に現在も本丸、二の丸、櫓、土塁の跡が地形として遺されている。東三河の三輪川(宇連川)と寒狭川(豊川)とが合流する天然の要害の地を、たくみに利用して築かれていたことがわかる、川幅はそれぞれ50~70メートル、両岸は高く切り立って、30~50メートルもの断崖絶壁となっている。


この記事を見た人は、一緒にこんな記事も読んでいます!


ナビ
Page Top