大奥の御殿・長局・御広敷の3つの区域と将軍の生活

将軍が中奥を通って大奥に入るとき

大奥は、「御殿」「長局」「御広敷」の3つの区域に分かれている。
「長局」は、奥女中たちが住む棟があるところで、彼女たちはここを日常生活の拠点として奉公に励んでいた。

また「御広敷」は、大奥の事務や警護を担当する男の役人や、賄い方の男料理人(役人)が詰めているところだ。

もちろん御殿との境には、警戒の厳しい「御広敷御錠口」というのがあり、御殿側では女の錠口番が、また御広敷側では男の役人や伊賀同心らが不審者の出入りに目を光らせていた。

ここを通れる男は奥医師だけで、あとは奥女中たちの出入りに使われていた。ここでは「御殿」について見てみよう。御殿は将軍家の私的な生活の場で、将軍の寝所、御台所の住まい、親戚との面会場所、将軍家子女の住まい、将軍生母の住まい、それに奥女中たちの職場、例えば「呉服の間」や「御三の間」などがある。

将軍が御殿に出向くときには中奥から入るのだが、大奥と中奥の境は厳重な銅の塀で仕切られている。もちろん出入口があって、そこは錠のかかった杉戸になっている。
杉戸の上から鈴のついた紐が下がっている。その紐を引くと鈴が鳴る仕組みだ。中奥から引けば将軍が来たという合図になり、大奥から引けば将軍が中奥へ戻るという合図になる。錠口番が両方の側にいて、それぞれが鈴の音を聞いて杉戸を開けるのである。

この錠のかかった出入口は2つあり、将軍が出入りに使う「上の御錠、普段は使用しない非常用の出入口「下の御錠口(御鈴口)」がある。将軍は「上の御鈴口」を通って「上の御鈴廊下」を渡り、少し先にある「御小座敷」にまず向かう。

御小座敷といっても広く、いく間もある。奥女中の控えの間もあるし、「蔦の間」という歓談や休息の場も「御小座敷」にはある。この「御小座敷」の「御上段」の部屋が、将軍が大奥泊まりをするときの寝所となる。ここで御台所とあるいは側室と夜をともにする。

普段、将軍が寝起きしているのは中奥にある御休息の間なので、御小座敷御上段の部屋は、もっぱら夜の営みに利用する部屋といえる。というのは奥女中はもちろん、側室、御台所でさえ中奥には入れないからだ。

また「下の御錠口(御鈴口)」から続く「下の御鈴廊下」が終わるところにある「御新座敷」が、将軍の生母の住まいである。

御台所の寝所は「御切形の間」というのがあって、将軍が泊まらないときにはここで休む。居間にあたる部屋は、いく間もある。

「御化粧の間」というのもある。ここは化粧道具の置き場所だ。また「御納戸」といって衣装の着替えや、化粧をする部屋もある。「大納戸」は、長持ちや箪笥などが納められている。「御清の間」というのは、いわゆる仏間である。
「御座の間」というのは、式日などのとき、将軍や御台所が出て行って式を執り行う、いわば式場にあたる部屋だ。

「御対面所」というのは、将軍家の親戚などが面会に来たときに使う部屋である。
「宇治の間」というのは、将軍家子女の住まいだが、五代将軍綱吉の死後使われなかったといわれる。その理由は、いわゆる「柳沢騒動」と綱吉の死因にあって怪談めいているの。

また、奥女中たちの職場や詰所である部屋もある。
「御台子の間」は御台所の食事中の湯茶を調達するところで、「御三の間」はお側付き女中の詰所だ。「呉服の間」は、将軍や御台所の衣服の裁縫を仕事とする奥女中の仕事場だ。「奥御膳所」は、食膳を調えるところで、御広敷の賄い方から送られてくる調理の品をここで受け取り、献立をする。

「千鳥の間」というのは、大奥の総取締役を勤める御年寄の詰所である。御年寄はここに陣取り、すべてを差配するのである。

ちなみに御年寄といえば、大奥ばかりか表の役人にも影響力があったが、老中と談合するとき、「上の御錠口」をはずさせ、杉戸を開けて老中と話し合うこともあったという。「上の御錠口」の利用者は将軍に限られていたのに、である。まさに、大奥一の権力者だからこそできた行為である。

それはさておき、「御広座敷」というのもある。これは2つあり、1つは大奥の中央にある。もう一つは御広敷御錠口に近いところにあり、御年寄などが老中など表役人と話し合いをしたり、女中を採用する際、誓詞などを言い渡したりするのに使われた。
このように生活に必要なありとあらゆるものが、それを扱う住み込みの奥女中とともに大奥には揃っていたのである。



江戸城の奥の奥に6千坪の男子禁制の世界が
江戸城は本丸(本城)・西の丸・二の丸・三の丸、そして吹上御庭からなっている。大奥があるのは本丸と西の丸である。西の丸というのは大御所(隠居した将軍)、または将軍の世嗣が私生活を送るところで、奥女中の数は本丸の半分ぐらいである。

二の丸・三の丸は本丸に対して、その外郭のことをいうのだが、簡単にいえば「離れ」だ。

本丸というのは城の中心部で、そこは「表」と「中奥」と「大奥」の3つの区画に分かれていた。「表」は将軍が政務を執るところ、幕府の政庁であり、ここにいる。

次に「中奥」というのは、「表」と「大奥」との間にあって、いわば官邸のようなところである。ここにいるのも男だけだ。つまり男の役人だけで将軍の世話をする。
1日のうち将軍はほとんどここにいる。

さて「大奥」だが、ここは将軍の私宅で、正室(御台所)や側室、世話をする女中たちがいるところだ。もちろん将軍以外は男子禁制である。

大奥でまず驚かされるのは、その広さ。敷地面積がなんと、6000坪を超える。しかも、空間認識能力では把握しきれないほど複雑な構造なのである。
その大奥におよそ250人前後の役付き女中がいた。彼女らこそが、幕府に雇われた奥女中である。

奥女中には、将軍や御台所に謁見(お目見え)を許される者と、そうでない者がいる。前者を「お目見え以上」というが、彼女たちは高級女中で、現代のお役所風にいえばキャリア組だ。後者は「お目見え以下」といい、ノンキャリア組だ。

ただしノンキャリアであっても、引き、運、それに器量次第でキャリアに昇進できた。そしてこれ以外にも、キャリアの奥女中が自分の給料で雇う部屋方と呼ばれる女たちがいる。

建物の話に戻ろう。
大奥の内玄関にあたるところを御広敷といい、ここには男の役人たちが詰めている。大奥の警備や事務をつかさどる役人と、将軍や御台所の飲食物を調理する賄い方の料理人の男たちだ。

ここにある御広敷御錠口(錠のかかった出入口)をくぐって大奥へ入れる男は、医者だけである。ちなみに御台所の診察は、月6回ぐらいだったといい、この御広敷御錠口をくぐって大奥に這い入ると、近くに御広座敷という部屋がある。

大奥は男子禁制とはいうけれど、用事があれば老中や男役人が来ることもあり、そのとき、この御広座敷が使われる。御広敷とは違うので注意が必要だ。
御広敷側にはこの御錠口の出入りを厳しく監視する男の役人がおり、大奥側にもチェックする役女中がいる。

将軍が大奥出入りに使用するのはここではない。そこは「上の御錠口」という別の場所で、中奥と大奥との境にある。大きな鈴を掛け、それを鳴らして用事を通じたので「上の御鈴口」ともいわれた。


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