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愛媛県・大洲城|交通の要所で伊予大洲藩の城下町

大洲城について
大洲城
国重要文化財 台所櫓、高欄櫓、三の丸南隅櫓
別名 比志城(ひしじょう)、地蔵ヶ獄城(じぞうがたけじょう)
分類 平山城
築城年 鎌倉時代末期、文禄4(1595)年
築城主 宇都宮豊房、藤堂高虎
主な城主 宇都宮氏、戸田氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏
愛媛県大洲市大洲903

肱川のほとりに建つこの城は、元弘元(1331)年、鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房によって築城されました。

時代は下って文禄4(1595)年に封ぜられた藤堂高虎によって大規模に修築。大洲は伊予を南北につなぐ大洲街道と、宇和島と大洲を結ぶ宇和島街道がちょうどぶつかるところであり、東には四国山脈を抜けて土佐国へ出る街道もある。

西には大洲の外港とも言える八幡浜もあって、古くから交通の要所になっていました。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は栄えていたと言います。

明治維新以後、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民たちの活動により、本丸の天守、櫓は一部保存されました。

しかし、結局、明治21(1888)年、老朽化により天守は解体されてしまいます。最近になって、また地元住民の保護活動が盛り上がって、平成16(2004)年、四層四階の複合連結式天守がとうとう復元されました。

肱川の河畔に建つこの木造天守は、明治時代の古写真や天守雛形と呼ばれる江戸期の木組み模型など、豊富な資料に基づき、今の姿を取り戻したのだとか。しっかりと研究されて再建されただけあって、周りの景色によく馴染んだ美しい姿を見せています。



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