日本の城の特徴と歴史をまとめた一覧表│関東の城

関東の城一覧表

史上空前の大城郭江戸城
東京都千代田区千代田1番1号
築城者: 徳川家康
遺構: 各曲輪、天守台、櫓、門、石垣堀など

江戸城は、長禄元年に太田道灌により築かれたといわれています。しかし、その城の規模を拡大してわが国一の城郭としたのは、徳川家康です。家康は文禄元年(1592)から道灌江戸城の拡張工事に着手、翌年には西の丸を築き、現在の皇居一帯を城の内としました。

関ケ原合戦後は、名実ともに征夷大将軍となり、慶長8年(1603)に江戸に幕府を開いています。翌9年、江戸城と城下町建設のために、全国諸大名に助役普請を命じました。この助役は江戸城が完成する寛永13年(1636)まで続きます。三代将軍家光の代に、五層の豪壮な天守が完成しました。

しかし明暦3年(1657)の大火で、天守をはじめ、本丸殿舎、二の丸、多くの櫓や門が焼失、以来明治維新まで13回の火災に遭います。天守は以後再築されませんでしたが、江戸末期でも、櫓数19門92棟という大城郭であったことは確かです。

現在、旧西の丸は皇居になっています。そして、旧本丸・二の丸・三の丸は皇居東御苑として開放されています。ここには富士見櫓・巽櫓・百人番所・大手門・平川門・北桔橋門が現存しています。天守台や本丸御殿跡、白鳥堀の石垣など、往時を偲ばせる遺構を見ることができます。また北の丸には、田安門と清水門が原形のまま保存されているので一見したいものです。




関東の雄小田原北紙の巨城小田原城
神奈川県小田原市城内
築城者:北条早雲、稲葉正勝
遣構:本丸・二の丸・三の丸の一部

小田原城は、室町時代に大森氏の築いた山城が前身といえます。その後、戦国大名である小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点としてしだいに整備拡張されました。

そして豊臣氏の来攻に備え、城の規模は最大に達します。当時の規模は、豊臣氏の大坂城に匹敵するほどでした。前例を見ない巨大な城に発展したのです。

小田原北条氏滅亡後は、徳川氏の譜代大名大久保氏が城主となり、江戸時代になると、三の丸以内に規模が縮小されました。稲葉氏時代、寛永9年(1632)に大地震で被害を受けてしまいます。

それを機会に整備工事が進められ、延宝3年(1675)までの43年間にわたる工事で、近世城郭として生まれ変わりました。次いで大久保氏が再び城主となり、東海道を押さえ、箱根を控えた関東地方防御の要として幕末にいたっています。

天守は、江戸時代に造られた模型や引き図を基に、江戸末期の姿、内部を歴史資料の展示施設として昭和35年に復興されました。三層四階の天守櫓に、多間櫓・続櫓を付した連結複合式天守となっています。天守内部には、小田原の歴史や、小田原城に関するさまざまな資料が展示されています。
昭和46年には常盤木門が復興され、平成9年には銅門が復元されています。

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