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愛媛県・宇和島城|城山の上にそびえる天守

宇和島城(愛媛県宇和島市丸之内1番地)

宇和島城について
宇和島城
国重要文化財 天守
別名 鶴島城(つるしまじょう)
分類 平山城
築城年 慶長元(1596)年
築城主 藤堂高虎
主な城主 藤堂氏、伊達氏
愛媛県宇和島市丸之内1番地

慶長元(1596)年、築城の名手、藤堂高虎によって築かれました。その後元和元(1615)年には、高虎に代わって伊達秀宗が城主となっています。

2代目城主宗利のときに現存する三重三階の天守が造られたと言われています。遺構は天守と上り立ち門だけという小規模な城郭。

標高約80メートルの城山の上にそびえる天守は、本丸を中心に曲輪が階段状に配されており、ふもとは不等辺五角形の惣構となって、そのうち2辺は海に接しています。

この形が非常に面白い。現在の天守は、寛文6(1666)年頃に再建されたものですが、小さいながらも優美で、好きな天守のひとつですね。


宇和島城の歴史
宇和島に入封した当時、財政的に苦しかった秀宗は、本家仙台伊達家から借用。

しかし、そこに徳川幕府から大坂城改修工事の命が下るなど、財政難はさらに悪化。これを打開するために伊達政宗は、家臣の中で優秀で信頼の置ける公頼を宇和島藩に派遣するのです。

ところが彼の政策は、結果的に宇和島藩藩士たちの減給を強いることに。家老・桜田玄蕃との対立も深まり、藩主秀宗が公頼暗殺を命じ、山家一家が惨殺されたというのがこの騒動。

その後、この騒動に関わった者が相次いで命を落とすということがあったため、人々は公頼の怨霊だと恐れ、和霊神社を造って祀ったと言われています。



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